長安寺の歴史
長安寺の起こりとこれから
長安寺の起こりは約1300年前の養老年間(717年から724年)とされています。
14世紀後半に現在の宗派・曹洞宗となり、19代に渡り受け継がれて参りました。もともとは海難を避ける寺として始まり、海=母のお腹のイメージから安産祈願や子授け祈願のお寺としての歴史を重ね、現在に至ります。
これからも、我が江西山の長安寺と江雲山の神光寺、共に研鑚を積みながら地域の方々との共栄に尽力していく次第でございます。
住職挨拶
19世住職、小川恭正
長安寺19世住職、小川恭正(おがわやすまさ);僧侶(きょうせい)と申します。
39歳から長安寺19世住職となり、様々な活動を通し皆様との縁を深めて参りました。
1980年から2013年、教職を33年間、55歳まで勤続して現在は僧侶中心に、国際ボランティア(SVA)や書道を活かしながら家族と共に寺院で生活しております。
様々な活動を通じて育まれた縁とつながりを大切にし、地域の活性化と共に、皆様とより良い毎日を送れるよう精進して参ります。
プロフィール
1957年 6月9日 誕生
1970年 柳ヶ浦小学校 卒業
1973年 長洲中学校 卒業
1976年 中津北高校 卒業
1980年 大分大学 卒業
住職・僧侶履歴
1970年 | 得度(4月);長安寺 |
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1975年 | 立身(4月);長安寺 |
1985年 | 瑞世拝登 |
1993年 | ※御開帳(5月)※33年に一度 |
1997年 | 住職任命(1月) |
2005年 | 晋山結制(11月) |
御開帳とは
御開帳とは、日頃は厨子の奥に安置秘蔵する仏像や仏舎利の扉を開き、拝する法会です。長安寺では33年に一度、前回は1993年、次回は2026年に行われます。
普段は決して見ること触れることのできない御本尊「如意輪観世音菩薩(にょいりんかんぜんのんぼさつ)」が御開帳の時だけ、特別にお姿を拝することが叶います。
前回は100人を超すお稚児(おちご)さんたちと稚児行列を執り行い、大変思い出深い御開帳となりました。
朝日新聞記事
自坊の地蔵堂内にある三体の内、右側にある馬頭観音。
その馬頭観音が大分駅100周年の数年前の朝日新聞記事に柳ヶ浦駅との関連により掲載されました。
御開山と前任の住職
初代住職(御開山) | 玉翁融琳大和尚 |
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16代目住職 | 戒岳孝道大和尚 |
17代目住職 | 道環一明大和尚 |
18代目住職 | 道明訓弘大和尚 |
小川恭正(号:方外)書道歴等について
1976年(19歳) | 大分大学書道部の白川青巌先生に師事 |
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1979年(22歳) | 大分県美展(書道一般公募)初入選(秀作賞)※大学4年 |
1981年(24歳) | 大分県美展(書道一般公募)3回目の入選で会員へ昇格 |
1982年(25歳) | 大分県美展(書道会員部門)秀作賞 |
1983年(26歳) | 大分県美展(書道会員部門)秀作賞 |
1984年(27歳) | 大分県美展(書道会員部門)秀作賞 |
1987年(30歳) | 大分県美展(書道会員部門)特選受賞 |
1988年(31歳) | 大分県美展(書道会員部門)無鑑査会員へ昇格 ※これ以来、現在まで県美無鑑査会員として毎年連続出品中。 また、毎日書道展と朝日書道展に1回ずつ出品して、それぞれ入選。 |
2013年(55歳) | 大分県新進気鋭の書作家による「若い風」書道展に、第1回展に続き第2回展にも県立芸術館の会場に出品(「五観偈」「食事偈」) |
書道の雅号:方外(ほうがい)
※30歳のころ大分大学の白川青巌先生からこの雅号をいただく。
小川恭正(号:方外)教職歴等について
1980~1982年 | 南大分小学校 |
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1983~1987年 | 和間小学校 |
1988~1990年 | 四日市北小学校 |
1991~1993年 | 西部中学校 |
1994~1998年 | 駅川中学校 |
1999年 | 長洲中学校 |
2000~2002年 | 中津中学校 |
2003~2005年 | 駅川中学校 |
2006~2008年 | 院内中学校 |
2009~2012年 | 天津小学校 |
2013年3月末 | 教職(33年間)終了 |